たまたま生まれた。だから、自分の幸せを追いかけていい。

自分らしく生きていくための記事 生きること

今日、Xを開いたら「死にたい」という言葉が流れてきた。

一件じゃなかった。「私なんて必要ない」「消えたい」「誰々がうざい」。スクロールするたびに、そういう言葉が出てくる。

それを書いている人たちのことを、私はしばらく考えた。

弱い人たちだとは思わなかった。むしろその逆だ。何かをちゃんと感じている人たちだと思った。期待している。求めている。それが届かなくて、傷ついている。

この記事は、そういう人たちに向けて書く。「死にたい」と思ったことがある人に。「自分なんて必要ない」と感じたことがある人に。

説教はしない。「生きてください」という言葉も使わない。ただ、私が本当にそう思っていることを、正直に書く。

もし今すぐ誰かと話したい気持ちがあるなら、相談窓口のページを先に見てほしい。電話が難しい人向けのチャット相談もある。


社会は、最初からあなたに合わせてつくられていない。

まず、これを言いたい。

社会のルールは、多数決でつくられている。より多くの人に合わせた仕組みが「標準」になり、そこからずれた人間は「おかしい」とされる。お金を持っている人の声が通りやすく、権力を持っている人の価値観が「正しい」とされやすい。

あなたがたまたまこの世界に生まれて、その社会にうまく適応できなかったとしても、それはあなたのせいじゃない。そもそもその社会は、あなたのためにつくられていなかったのかもしれない。

社会はいろんなレッテルを貼る。

窓際社員。不良。出来損ない。社会不適合者。無職。ニート。ぴえん系。

でも考えてほしい。それは何か?

ただ、少数派なだけだ。

多数決でつくられた社会の「標準」から外れているというだけで、その人間の価値とは何の関係もない。もし今のレッテルを貼られた人が多数になれば、社会はまた別の少数派を見つけて新しいレッテルを貼る。それだけのことだ。

レッテルは、社会が自分の「標準」を守るためのシステムだ。あなたの本質とは関係ない。


「死にたい」という気持ちの正体。

心理学者や精神科医が共通して指摘していることがある。

「死にたい」という気持ちの本質は、多くの場合「死にたい」ではなく、「今のこの苦しさから逃げ出したい」だ。

がんばっているのに認められない。求めているものが手に入らない。傷ついた。疲れた。もうこれ以上続けられない。その苦しさから逃れようとして、「消えてしまえば楽になれる」という考えが浮かぶ。

つまり「死にたい」の裏には、「もっとよく生きたい」という気持ちがある。理想がある。期待がある。それが叶わなくて、傷ついている。

厚生労働省が実施したSNS相談事業のデータによれば、相談者の約85%が29歳以下の若者だ。G7主要先進国の中で、10代から30代の死因の1位が自殺なのは日本だけだという報告もある。これだけ多くの人が追い詰められている。それは個人の弱さではなく、社会の構造的な問題だと私は思っている。


今つらい日を過ごしている人は、気高い人だと思う。

これは本当にそう思っている。

今、しんどい夜を過ごしている人は、きっと自分に嘘がつけない人だ。真面目な人だ。外見がふざけていても、言葉が荒くても、関係ない。本質的に、自分というものに正直に生きようとしている人だと思う。

社会に言われた通りに生き、周りに合わせ続け、何も感じないふりをしていれば、傷つくことは減る。でもそれは、自分を消すことと同じだ。

傷つくのは、感じているからだ。求めているからだ。本物を生きようとしているからだ。

それは弱さじゃない。むしろ、簡単に流されない強さだと私は思う。


前提を変えたい。人生に意味はない。だから自由だ。

哲学者のアルベール・カミュは、「なぜ生きるのか」という問いを「不条理」と呼んだ。人間は意味を求めるが、世界には意味がない。その矛盾の中で、それでも生きることを選ぶことが、人間の真の自由だと言った。

ニーチェはこう言った。「人生は無意味だから、自由に生きてやれ」と。

私も同じように考えている。

私たちはたまたま生まれた。選んで生まれてきたわけじゃない。この国に、この時代に、この家族のもとに生まれたのは、偶然だ。人生にあらかじめ設定された意味や目的なんて、どこにもない。

それを「空虚だ」と感じる人もいる。でも私は「自由だ」と感じる。

意味がないなら、自分で面白くした方が得じゃないか。

誰かの基準で「正しく生きなければ」という重さを、少し降ろしていい。お金を稼がなくても、誰かに認められなくても、立派なことをしていなくても、あなたは今ここにいていい。


「よく生きる」とは、たいそうなことじゃない。

「よく生きること」について、たいそうな話をする人は多い。

お金を稼ぐことだ。人の役に立つことだ。社会に貢献することだ。何か大きなことを成し遂げることだ。

違う、と私は思う。

よく生きることは「ただ生きること」だ。ご飯がおいしいと感じること。好きな音楽を聴くこと。眠れた朝に少しだけほっとすること。そういう、小さな積み重ねだ。

神戸大学の西村和雄教授らが2万人の日本人を対象に行った研究(2018年、RIETI)では、幸福度に最も強く影響する要因は「自己決定」だという結果が出た。所得や学歴より、「自分で選んで生きているか」が幸福度に最も大きく影響するというデータだ。

お金でも地位でも、誰かの承認でもない。「自分で選んでいる」という感覚が、人を幸せにする。

逆に言えば、誰かの基準に合わせ続けて「自分が本当にどうしたいか」から離れるほど、人は不幸になりやすい。


幸せかどうかは、自分が決めることだ。

「幸せ」や「不幸」は、外側が決めるものじゃない。

お金があっても不幸な人はいる。何もなくても幸せそうな人はいる。立派な仕事をしていても空虚な人はいる。誰にも認められなくても、満ちている人はいる。

世の中には「こうあるべき」という基準が山ほどある。学歴。収入。見た目。結婚。家族構成。SNSのフォロワー数。それに照らし合わせて「自分は足りない」と感じ始めたら、どこまで行っても足りない。ゴールは常に動く。

でも、その基準を疑うことができる。「これって、誰が決めたんだっけ」と立ち止まることができる。そして「自分が本当にどうしたいか」を、改めて選び直すことができる。

幸せはどんな状態でも、自分が決めるものだ。


面白いの基準は、自分にしかわからない。

私はラーメンが好きだ。散歩が好きだ。妻と過ごす時間が好きだ。音楽を作ることが好きだ。これは誰かに教わったわけじゃない。いろんなことをやってみて、「あ、これ好きだ」と気づいた。それだけだ。

好きなことがわからない人もいる。それでいい。まだ出会っていないだけだ。

周りが「これが楽しいよ」と言っても、自分には響かないことがある。逆に、誰も気にしていないようなことに、自分だけ異常にはまることがある。その「異常にはまる」という感覚の方が、大事だ。

面白いの基準は、自分にしかわからない。だから、周りの目を気にして「それはくだらない」と切り捨てるのはもったいない。

自分を知ること。周りの目や固定観念を疑うこと。そして、心の声に少しずつ従ってみること。

SNSで見えている「幸せそうな人たち」は、現実の全部じゃない。東京大学大学院の研究(2023年)では、SNS利用者の約68%が「実際よりも良く見せる投稿を意識的にしている」と回答している。みんな「演じた自分」を流しているだけだ。あなたの「素の現実」と比べても意味がない。


くだらないレッテルに、流されなくていい。

社会が貼ったレッテルは、あなたの本質じゃない。

窓際社員でも、無職でも、社会不適合者でも、ニートでも。それはただ、今の社会の「標準」から外れているというだけのことだ。標準は多数決でつくられ、権力を持った人間に都合よく設計されている。それに合わなかったからといって、あなたの価値は何も変わらない。

そして今つらい夜を過ごしているあなたは、きっと自分に正直に生きようとしている人だ。流されない人だ。気高い人だ。私はそう思っている。

だからこそ、そんなくだらないレッテルに流されないでほしい。

あなたが願う幸せを、存分に追いかけてほしい。それがどんな形であれ、誰かに認められなくても、社会の基準に合わなくても、あなたが「これだ」と感じる方向に、歩き出してほしい。


それでも今夜がつらい人へ。

ここまで読んでくれた人の中に、今夜がつらい人がいるかもしれない。

一つだけ、言わせてほしい。

今夜のつらさを、一生の答えにしないでほしい。

今夜感じていることは本物だ。その苦しさを否定しない。でも、今夜の状態から見えている世界は、世界の全部じゃない。苦しいときほど、視野は狭くなる。それは脳の仕組みで、あなたの意志の問題じゃない。

今夜を越えれば、明日がある。明日を越えれば、来週がある。来週を越えれば、「あの夜は本当につらかった」と思える日が来る。私はそれを、自分の経験から知っている。

もし今すぐ誰かと話したい気持ちがあるなら、一人で抱え込まないでほしい。電話が難しい人向けのチャット・テキスト相談もある。相談窓口のページにまとめてあるので、見てみてほしい。


まとめ。たまたま生まれた。だから、自由だ。

私たちはたまたま生まれた。それは、あらかじめ決められた役割も、達成しなければいけない使命も、ないということだ。

社会は多数決でつくられていて、最初からあなたに合わせてはいない。そこに適応できなくても、それはあなたのせいじゃない。

レッテルは、ただのレッテルだ。あなたの本質じゃない。

幸せかどうかは、自分が決める。誰かの基準じゃない。

今つらい夜を生きているあなたは、自分に正直に生きようとしている。それは弱さじゃなく、気高さだ。

だから、くだらないものに流されないでほしい。あなたが願う幸せを、存分に追いかけてほしい。

たまたま生まれたこの人生を、自分で面白くする権利は、あなたにある。

※気持ちがつらいとき・消えてしまいたいと感じているときは、一人で抱え込まないでください。相談窓口一覧に、電話・チャット・メールで相談できる窓口をまとめています。


この記事を書いた人のnoteはこちら

コメント

タイトルとURLをコピーしました