私は社会不適合者だと、自分で思っている。
自己申告なので信憑性はそこそこだが、証拠はいくつかある。人の言うことは基本的に聞けない。協調性もない。少し攻撃的だ。詳しくはプロフィールに書いてあるが、要するにそういう人間だ。
日常生活に落とし込むと、まず週5日8時間働くのが無理だ。満員電車に乗って、決まった時間に決まった場所に行って、決まった仕事をする。それが普通だとわかっていても、体がついていかない。脳がついていかない。なんなら魂がついていかない。
ビジネスビジネス言っている上司に憧れることもない。「この案件、ガッツリ詰めていきましょう!」みたいなノリに、なぜか体が拒否反応を示す。悪い人たちじゃないと思うのに、どうしても生息できる気がしない。
いいことをするつもりもない。ルール通りに生きるつもりもない。いつか死ぬこともわかっているし、生きていることが素晴らしいだけじゃないこともわかっている。
そういう人間だ。
でも同時に、圧倒的にいいことも多い。
これは完全に運だとわかっているが、気づいたらいい人が周りにいたりする。なんのきっかけもなく、ある日ふと気づいたら、一緒にいて楽な人間が周囲に揃っていた。たまに、びっくりするくらい楽しい食事がある。笑いすぎて腹が痛くなって、帰り道にまだ笑っているやつだ。
信じられないくらい美味しいものを食べることがある。「これは何? なんで存在してるの?」と思うくらい美味しいやつだ。綺麗な景色を見て、なぜか泣きそうになることもある。泣かないけど。
社会は好きじゃない。でも世界は、そんなに悪くないのかもしれない。
その2つを同時に抱えながら、この記事を書いている。
「社会」とは何か。そもそもの話をする。
「社会に合わせろ」「社会不適合者」。
その「社会」って、いったい何なのか。言葉は毎日使っているのに、改めて考えると意外とよくわからない。「空気を読め」の「空気」と同じくらい、正体が曖昧だ。
社会学の定義によると、社会とは「人々の相互作用によって生まれる秩序」だ。もう少し砕いて言うと、一人では生きていけない人間が、集まって助け合うために作り出した仕組みのことだ。
その起源は古い。人類が農業を始めて定住するようになった頃から、集団で生活するためのルールが生まれた。誰がどの土地を耕すか、食べ物をどう分けるか、危険が来たときに誰が戦うか。そういう取り決めの積み重ねが、数千年かけて今の「社会」を作っている。
社会学者デュルケームはこう言った。「社会は個人の外部に存在し、個人に対して強制力を持つ」と。小難しく聞こえるが、つまりこういうことだ。社会は私たちが生まれる前からそこにある。誰も「この社会に入りますか?」と聞いてくれない。気づいたら参加させられている。同意した覚えはないのに、ルールは適用される。
ここが大事な点だ。
社会は、私たちのために作られたわけじゃない。
社会は「多数決」で作られる。正確に言えば、その時代その場所で力を持った多数派の常識と価値観が積み重なって、社会の形になっていく。少数派の声は、歴史的にずっと後回しにされてきた。
これは悪意のある話じゃない。ただの構造的な話だ。多数決で物事を決めると、多数派に都合のいいルールが生まれる。それだけのことだ。
週5日8時間労働は、誰が決めたのか
たとえば、あの「週5日8時間労働」。
あれはいつ誰が決めたのか、知っているだろうか。
まず「1日8時間」を最初に提唱したのは、1817年のイギリスの実業家・社会活動家ロバート・オーウェンだ。当時は産業革命の真っ只中で、子どもを含む工場労働者が1日10〜16時間働かされていた。さすがに死ぬ。オーウェンは「仕事に8時間を、休息に8時間を、やりたいことに8時間を」というスローガンを掲げた。
このスローガンは世界に広まり、各国で労働運動の波を生んだ。血が流れた争いもあった。100年かけて1919年に国際労働機関(ILO)が国際基準として採択した。
次に「週5日制」を広めたのは、1926年のアメリカ・フォード社だ。あの車のフォードだ。創業者ヘンリー・フォードが工場で週5日・1日8時間の40時間労働を導入した。主な理由は「長時間働いても生産性はそれほど伸びない」という知見と、「労働者が十分な休息を得ることで仕事の質が上がる」という判断、そして余暇が生まれることで消費が活発になるという経営的な読みだ。
つまり、人間にとって理想的な時間だから8時間・週5日になったわけじゃない。労働争議の末に獲得した権利と、企業の生産性戦略が合わさった結果だ。
そしてここで面白い事実がある。日本はこのILO第1号条約を批准していない。理由は、36協定さえ結べば時間外労働が青天井になり得る日本の労働基準法が、ILOの上限規制と矛盾するからだ。つまり日本は、残業に関してはILOのルールより「緩い」方向にある。そりゃ過労死も起きる。
「週5日8時間働くのが普通の社会人だ」という常識の正体は、こういう歴史の堆積だ。神様が決めたわけでも、科学的に最適な数字でもない。それが合わない人間がいても、全然おかしくない。

社会が「合わない人間」を必ず生み出す理由
社会は多数派のために作られる。だから、少数派は最初から不利だ。
これは残酷なようで、ただの算数だ。
たとえば、世界の建物や交通機関のほとんどは、健常者を前提に設計されている。日本における障害者は約936万人で、人口の約7.4%だ(厚生労働省)。7.4%の人が、自分に合わない設計の世界で生きている。悪意があるわけじゃない。設計した人が多数派だっただけだ。
LGBTの人口は約10%と言われる。「異性愛が当たり前」という前提で社会が設計されているから、10人に1人が、至るところで「普通じゃない」扱いを受ける構造になっている。
「社会不適合」と言われる人間も、同じ構造の中にいる。
週5日8時間の労働に体がついていかない人。集団の中で協調することより、一人で深く考える方が得意な人。決まったルールより、自分の直感で動く方がうまくいく人。感情が強すぎて、感情を制御することを求められる場所で疲弊する人。
これらは「社会に合わせられない欠陥」ではなく、「多数派向けに設計された社会に、たまたまフィットしなかった」というだけの話だ。
社会心理学の研究によると、人間は多数派の意見を無意識に「正しい」とみなす傾向がある。多数派が「これが普通だ」と言えば、それが基準になる。少数派はその基準からはみ出した存在として扱われる。
でも基準自体が、多数派の都合で決まっている。
「普通」は絶対じゃない。「普通」は多数決の結果に過ぎない。あなたが普通じゃないとしたら、それはあなたが少数派というだけだ。少数派であることと、間違っていることは、別の話だ。
でもやっぱり、社会は好きじゃないかもしれない
ここまで書いてきて、改めて思う。
社会の仕組みはわかった。なぜ自分が合わないのかも、構造的に理解できた。
でもだからといって、社会が好きになるわけじゃない。
週5日8時間働くことへの抵抗感は変わらない。ビジネスビジネスしている人に憧れを感じないのも変わらない。「みんなそうしているから」という理由で何かをする気にならないのも変わらない。
これは開き直りでもなく、諦めでもない。ただ、正直な話だ。
社会が好きじゃない人間が、無理に社会を好きになろうとしても、エネルギーを消耗するだけだ。そのエネルギーを、もっと別のことに使った方がいい。
じゃあ、別のことって何か。
社会と世界は、別の話だ
ここで一つ、区別をしたい。
「社会」と「世界」は、別物だ。
社会は人間が作った仕組みだ。ルールがあり、評価があり、正しさがあり、「普通」がある。多数決で運営されていて、少数派には不都合なことが多い。
でも世界は、人間が作ったわけじゃない。
美しい夕焼けは、社会のルールを知らない。びっくりするくらい美味しい食べ物は、あなたが週5日働いているかどうかを気にしない。なぜか気が合う人との出会いは、履歴書を見ない。
社会に合わなくても、世界を楽しむことはできる。
私の場合、それは食事だったり、景色だったり、気づいたら周りにいた人たちだったりする。誰かに言われたわけでも、努力したわけでもなく、何かいいものが転がり込んできた経験が、たしかにある。
理由はよくわからない。運だと思っている。でも運が良かった瞬間は、社会の中で頑張ったときよりも、ずっと鮮明に覚えている。
社会以外で、胸を張って生きる方法
では具体的に、どうすれば社会以外で胸を張って生きられるのか。
大げさなことは言わない。
自分が「世界」を感じる瞬間を、意識的に集めることだ。
それは本当に些細なことでいい。
びっくりするくらい美味しいものを食べた、でいい。綺麗な景色を見て、なんとなく立ち止まった、でいい。笑いすぎて腹が痛くなった夜があった、でいい。なんとなく空が気持ちよかった、でもいい。
社会は評価する。成果を出したか、役に立ったか、生産的だったか。
世界は評価しない。美しい夕焼けは、あなたが今日何をしたかを聞かない。美味しいラーメンは、あなたの年収を確認しない。
社会の中で消耗したとき、世界に戻ってくる場所を持っておくことが、たぶん社会不適合者の生存戦略として一番効く。
私が言えるのは、それくらいだ。

大前提として、生きているだけですごい
最後に、これだけ言わせてほしい。
哲学者カントはこう言った。「あらゆる事物は価値を持っているが、人間は尊厳を有している。人間は決して目的のための手段にされてはならない」と。難しく聞こえるが、要するに、人間は何かを成し遂げたから価値があるのではなく、存在すること自体に尊厳があるということだ。
アドラー心理学でも同じことを言っている。「人の価値は行為によって決まるわけではない。存在だけで、生きているだけで価値があるのだ」と。
これは慰めでもなく、綺麗事でもない。
少し歴史的に考えてほしい。
人類の歴史のほとんどは、生きること自体が命がけだった。飢餓があり、疫病があり、戦争があり、多くの人が生きたくても生きられなかった。乳幼児の死亡率は今より遥かに高く、30代で死ぬことが珍しくない時代が何千年も続いた。
そういう時代の積み重ねの上に、私たちはいる。
今日、あなたが生きているという事実だけで、すでに奇跡みたいなことが起きている。
週5日8時間働けなくていい。ビジネスビジネス言っている上司に憧れなくていい。協調性がなくていい。社会に合わせられなくていい。それでも今日ここにいるあなたは、それだけで十分だ。
社会は好きじゃなくていい。
でも、世界をたまに覗いてみてほしい。びっくりするくらい美味しいものが、まだそこにあるかもしれないから。
関連記事
→ たまたま生まれた。だから、自分の幸せを追いかけていい。
→ 同調圧力に、飲み込まれなくていい。「逃げ」なんてこの世に存在しないから。
→ 仕事が続かないのは、あなたのせいじゃない



コメント